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没後200年・伊能忠敬を歩く

2018年は伊能忠敬が没して200年。ゆかりの地を記者が訪ねました。

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没後200年・伊能忠敬を歩く

/32 「シーボルト事件」の特別小図 高橋景保の存在大きく

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カナ書き伊能特別小図(国立国会図書館所蔵)より九州南部=外国人にも読みやすくするため、地名の多くがカナ書きで記載されたといわれる
カナ書き伊能特別小図(国立国会図書館所蔵)より九州南部=外国人にも読みやすくするため、地名の多くがカナ書きで記載されたといわれる

 伊能忠敬の日本図を部下に複写させ、オランダ商館医師、シーボルトに送り届けた天文方の高橋景保。2人が江戸で出会った1826年春以来、行われた国禁破りの数々はしばらく公にならなかった。

 が、暗に罪する者は天これを罰し、あきらかに罪する者は人これを罰す。28年11月、景保はついに幕府によって捕縛された。シーボルト事件である。同年9月、長崎を襲った暴風雨により、シーボルトの乗船予定だったコルネリウス・ハウトマン号が座礁、船内から禁制品が次々と見つかったことが、事件発覚の引き金を引いたとされる。ただ、近年の梶輝行氏の研究などによると、船にはバラスト(船を安定させるための重量物)だけが積まれていたとの説が有力だ。

 実は幕府は以前から、シーボルトと景保とのやりとりを察知していた。発端は同年春、シーボルトから景保を介して間宮林蔵のもとへ届けられた小包と手紙だった。意外な贈答品に驚いた林蔵はそのまま勘定奉行に報告。小包の中身は高価な更紗(さらさ)の反物。手紙は、林蔵に江戸で一度しか会えず残念に思うとした上で、彼の業績に敬意を表し、反物とオランダに戻ったら外国の貴重な地図を送ると約束、代わりに蝦夷(えぞ)から持ち…

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