SUNDAY LIBRARY

岡崎 武志・評『あの素晴らしき七年』『僕たちの居場所論』ほか

◆『あの素晴らしき七年』エトガル・ケレット/著(新潮クレスト・ブックス/税抜き1700円)

 エトガル・ケレット『あの素晴らしき七年』(秋元孝文訳)は、36編の自伝的エッセー集。著者は1967年生まれのイスラエルの作家。日常はつねに戦時下にある。

 空爆による死の恐怖、根強いユダヤ人差別という「負」を抱え、そのことは部屋の壁紙のように彼を包む。しかし、息子の誕生から父の死までの7年をつづった本作から受けるのは、親しみ深い、柔らかな感情である。

 現実を知らず「もう明日はないとばかりにおしっこやウンコを漏らしまくる」我が子に向けるヒステリックな夢想の描写は、悲嘆とユーモアがダンスを踊るように読者の心を弾ませる。作家的力量を保証するとともに、著者が言葉の力を信じていると分かる。

 最終近い「父の足あと」は、7歳の息子を守るため怪我(けが)をした「ぼく」が、旅先で迎えた受難から、故人となった父と触れ合う、じつに感動的な話。秋元孝文の訳はこなれて、遠い国の話を身近に感じさせる。

◆『僕たちの居場所論』内田樹、平川克美、名越康文・著(角川新書/税抜き860円)

 内田樹(たつる)、平川克美、名越康文は、いずれも論壇やマスコミで活躍中の人物。そんな3人が、顔を突き合わせ、思う存分語り合ったのが『僕たちの居場所論』だ。

 彼らに共通するのは、本業以外に、道場、喫茶店、私塾など、他者と結びつく「居場所」を持っていること。居心地のいい場所こそ「今の象徴」だと平川。それを「強い現実のひとつの形」と内田が受け、大阪在住の名越は、東京で巡る三つの喫茶店が、「まさに僕の象徴」だと発言する。

 本なしでトイレに入れないという尾籠(びろう)な話から、安倍晋三の言葉、嫌韓と在特会、師匠の存在など、話題は多岐に自在に進み、膝を打つ指摘も目白押しだ。通勤電車内で、立ってでも読めます。

 内田と平川が小学校時代の同級生で、それぞれ「おとぼけ新聞」「ユーモア新聞」という、二つの学校新聞の編集長で、舎弟を抱えていたという愉快なエピソードも。そういえば、いたずら小僧たちの放課後の雑談を思わせる。

◆『韓国「反日街道」をゆく 自転車紀行1500キロ』前川仁之・著(小学館/税抜き1500円)

 三・一独立運動記念碑、愛国志士祠堂、光州、独立記念館と、韓国に爪痕を残す「反日」。ノンフィクション作家の前川仁之(さね ゆき)は、あえて『韓国「反日街道」をゆく』ことにした。しかも、全行程を自転車で! 「自転車は、程よい距離でものを見せてくれる認識の道具」だと、著者は考える。釜山(プサン)を皮切りに、約3週間かけて、大韓民国をほぼ一周。そして、ついに南北軍事境界線へ……。スロースペースと持ち前の人懐っこさで触れた「反日」の国と人間の現実とは?

◆『音楽に自然を聴く』小沼純一・著(平凡社新書/税抜き800円)

 音楽は楽器、および人の声で奏でられる。しかし、それだけか。小沼純一『音楽に自然を聴く』は、「音楽のなかの自然、自然のなかの音楽」について考える。ピアノの調律師が登場する宮下奈都の『羊と鋼の森』を取り上げ、羊と鋼と森がピアノの素材の一部だとする。つまり、音楽の中に自然が潜んでいる。歌舞伎、ヴィヴァルディ「四季」、動物や鳥や昆虫、あるいは水と、自然との共生を読むことで音楽の豊かさを知る。知覚を全開にして体験できるユニークな音楽論。

◆『尾崎士郎短篇集』紅野謙介/編(岩波文庫/税抜き1000円)

 このところの岩波文庫は目を引く書目が多い。『尾崎士郎短篇集』(紅野謙介編)もそんな一冊。『人生劇場』で名を知られる作家だが、「短篇小説こそ、この作家の特質が最も良く表現されている」というのが本書を編む眼目。「獄室の暗影」「大逆事件」など、たしかに我々の知らぬ作家の顔がそこにある。「鶺鴒(せきれい)の巣」は、伊豆・修善寺の宿に逗留(とうりゆう)した際、梶井基次郎と交流した日々を映す好ましい小品。「河鹿」は宇野千代との夫婦争いを描く私小説。尾崎のイメージが修正される。

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岡崎武志(おかざき・たけし)

 1957年、大阪府生まれ。高校教師、雑誌編集者を経てライターに。書評を中心に執筆。主な著書に『上京する文學』『読書の腕前』など

<サンデー毎日 2016年6月12日号より>

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