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番外編 「弱さ」ってすごい 高橋源一郎さんインタビュー

たかはし・げんいちろう 1951年1月1日、広島県尾道市生まれ。作家、評論家、明治学院大学教授。81年に「さようなら、ギャングたち」でデビュー。「優雅で感傷的な日本野球」で第1回三島由紀夫賞、「日本文学盛衰史」で第13回伊藤整文学賞、「さよならクリストファー・ロビン」で第48回谷崎潤一郎賞を受賞。「一億三千万人のための小説教室」「ニッポンの小説 百年の孤独」「恋する原発」「国民のコトバ」「弱さの思想 たそがれを抱きしめる」(辻信一との共著)など著作多数。近著に「還暦からの電脳事始」(毎日新聞社)。=写真は竹内紀臣撮影
高橋源一郎さんのほか池澤夏樹さん、町田康さん、三砂ちづるさんらが石牟礼文学への思いを語ったシンポジウム=東京都文京区で2014年7月21日、平野美紀撮影

 弱い者や声の届きにくい者が虐げられる、という日本の生きづらさを克服するには、いったいどうすればいいのか。水俣や福島では、いまだにその構図が色濃く残っている。胎児性・小児性水俣病患者の今の生活ぶりを伝えた企画「『のさり』と生きる 水俣」を9月16〜20日に5回連載で掲載したが、今回はその番外編として、「弱さの研究」を通して弱者に目を向け続ける作家の高橋源一郎さん(63)に話を聞いた。【平野美紀/デジタル報道センター】=文中敬称略

次男の大病で気づいた「弱さ」

 −−「石牟礼道子全集」(藤原書店、全17巻・別巻1)の完成を記念したシンポジウム(今年7月)で高橋さんは、初めて「苦海浄土」を読んだ後、数年前まで、「通り過ぎていた」とおっしゃっていました。

 高橋 1970年代に入った頃、知人が「いいわよ」とすすめるので、読んでみました。確かに傑作だと思いましたが、どこか、心の奥底から自分を揺り動かしてくれるものではありませんでした。仲良くしている詩人の伊藤比呂美さんも「道子さん、いいわよ」と言っていたのですが、自分にとって「出会い」というほどの意味はなかったと思います。僕とは関係ないのかなあ、と。

 80年代、90年代にも石牟礼さんの代表作は読んでいましたが、その時も通り過ぎていたように思います。「弱さ」について考えるようになったのは、(「弱さ」を主題にした初のルポルタージュ)「101年目の孤独」(岩波書店)に書いているように、次男が病気になってからです。今から考えると、どれも初めて考えたことではなかったような気がするんですが、「弱さ」という言葉で、まとまりがつくようになったのは、この5、6年ですね。

<<「苦海浄土」は、石牟礼さんを思わせる「私」の視点で、企業城下町・水俣で耐えるしかない水俣病患者と家族の苦しみを、方言を多用し描き出した。1969年に第1部が刊行され、第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたものの、石牟礼さんは受賞を辞退。後に第3部まで書き上げられた。今年9月には、男の視点で書かれた第1部の未発表“新章”の原稿が見つかったことが分かっている。九州の片田舎で「奇病」と呼ばれた水俣病が、広く全国に知られるきっかけとなったのは、この「苦海浄土」によるところが大きい>>

石牟礼道子全集完結を記念して開かれたシンポジウムで,「家族ではないから引き受けるべき責務もないのに、責務と受け取って石牟礼さんは『苦海浄土』を書いたのではないか」と語る高橋源一郎さん(右端)=東京都文京区で2014年7月21日、平野美紀撮影

 −−講演で「うめいているだけの次男を見て、強い喜びを感じるようになった」ともおっしゃっていました。それは、「助けられるのは自分しかいない」という意味ですか?

 高橋 そうですね。「あなたの仕事です」という指名を受けたような気がしました。6年前、次男が脳炎にかかって危篤になりました。「このまま亡くなる可能性が3分の1、助かっても重度の障害が残る可能性が3分の1」と言われたのです。1週間、獣のようにうめいているだけの次男を見て、「この子はうめいているだけで死んでいくのか」と思った時、強い喜びを感じるようになりました。この世で最も弱いと思われる子を見た時に、自分の中で眠っていた深い感情がゆり動かされた。いやもしかしたら、眠っていたのではなく、新しく作られたのかもしれない新しい感情に自分自身、驚きました。

 重い病気のある子どもを持つ人たちが、ただ苦しいだけではなくて、喜びも感じるには何か理由があるのだろうと。これは僕の解釈になるのですが、(その人にとって)かけがえのないあなたがやりなさいと。自分の仕事というふうに感じ、初めて、役割を自覚できる。逆に、普段やっていることは、たいてい、交換可能というか代替可能というか、自分である必要がないものが多い。しかし、そのことに関してだけは、自分しかいない、というのは、心理的にも大きいのかな、と思いました。

 それから、時には知人と、時には1人で、「弱者」と呼ばれる人たちを訪ねる旅をするようになりました。子どものホスピス、重度の心身障害者の施設、認知症の老人のための施設、そういった場所です。興味本位ではなく、そういう場所に行き、そういう人の横にたたずむと、なぜ力が湧いてくるのか、ということを知るためでした。その途中で、「3・11」があり、「苦海浄土」が、池澤夏樹さんが編集された世界文学全集(河出書房新社、全30巻)に日本の作品で唯一収容され、何年かぶりに読むことになりました。

 確かに前に読んだはずだったのに、「自分は読んでいなかったんだ」ということに気がつきました。感想も一言では言うことができません。最も弱い、水俣病に侵された子どもの横にたたずんで、眺め、記述し、正確にその言葉を再現している石牟礼さんは「その人のことを知っているんだ」と思いました。言葉が非常識なほど美しいとも思いました。虐げられた人、弱い人、侵された人のことを書いて、なぜ、あのように美しいのか。それは、弱いものの横に立ち止まることの意味を、よく知っているから、と思ったんです。

<<「急性小脳炎」と診断された当時2歳の次男は劇的に回復した。入院していた2カ月間、病院で重い病気や難病の子どもたちが亡くなっていくのを目の当たりにした。ある日、過酷な状態であるにもかかわらず母親たちの表情がとても明るいのに気づいた。思い切って、どうしてそんなことが可能なのか、と話しかけると「だって可愛いんですもの」という答えが返ってきた。「この時の経験は私を変えた」と高橋さんは言う>>

ただ、そこにたたずむ

 −−息子さんの脳炎の体験を経て、弱い人の横にたたずむということを積極的にされていますが、それはどうしてですか?

 高橋 正確に言うと、たたずんでいる人の横に行って、話を聞いたのです。実際にたたずんでいるのは脳性まひの子供のご両親とか、認知症の人を介護している人たちです。その現場へ行って、ただ見ている。僕自身は何もしていないんです。実際に行ってみると、それは、予想していたことではあるんですが、みんな同じような構造をしていて、みなさん、言うことが同じなんですよね。ということは、一つのある普遍的なシステムというか、普遍的なあり方、構造として、この社会に組み込まれていたのではないか、というふうに思うようになったんです。

 自分から何かをするのではなくて、とりあえずずっとそこにいる。だいたいそこの人たちは、力がなかったり、病気だったり、ほとんどははっきり声が出せない人ばかりです。そこで横にいる人が、何をしているかと言えば、とりあえず「聞いている」。正確に言えば、横にいて「聞いてあげている」。

 僕たち、そういう時ってまず何かするでしょう。でもマニュアルなんかない。その人、一人一人全部違うけど、やることは一緒で、横にいてあげる。できることって限られているんです。例えば、死にそうな人には手を握ることぐらいしかできない。ただそこにいる、ということなんですよね。

 −−そうすることによって高橋さんの中で何が変わるのですか?

 高橋 最終的には、作家としての僕にフィードバックされているような気がします。ものを書くことはマニュアルがなくて、僕たちはまず、耳を澄ますわけですね。それは人に限らず……モノだったり、世界で起きている出来事だったりを静かに聞く。そこから始めるわけなので、そういう意味では、病気の子どものご両親とか、施設の介護者がやっていることは、僕たち作家がやっていることとあまり変わりがないのだと思います。作家はその声を聞いて、作品にしている場合もあるでしょうし、今はまだ生まれていない読者がどんな読者だろうかと、想像してみる。

 −−そういう活動を始めた後に、東日本大震災が起きました。「3・11」の前後で、意識の差が生まれましたか?

 高橋 それを受け入れる準備ができていたと思います。文章を書く人たちの中には、震災のショックでしばらく書けなくなった人もいますが、僕は震災が起きた後、すぐに文章を書き始めました。その理由を考えてみたら、「弱さの研究」の中で既に準備していたんだと思います。震災で亡くなったり、家を流されたり直接被害にあった人たちだけでなく、災害の影響で大学の卒業式がなくなって困った大学生たちも巻き込まれることによって、「弱い立場」になってしまったわけです。大学生も「ボランティアに行けばいいんでしょうか」とか、自分がどうすればいいのかが分からなくなっていた。僕たちはその横にいて、とりあえず彼らの話を聞いてあげる。ただ聞くだけではなくて、いろいろアドバイスするわけなんですが、それ以前の何年かの間で、非常時に対応できる態勢がとれていたように思います。僕自身はあまり混乱はありませんでした。

<<高橋さんは、教べんをとる明治学院大学国際学部で、文化人類学者の辻信一さんと2010〜13年、「弱さの研究」という共同研究を行った。身体的、年齢的な「弱者」だけでなく、国籍や差別に悩む、社会によって作り出された「弱者」に共通するのは、世の中が「弱者という存在がやっかいなもの」と考えていること。弱者は社会にとって不必要な害毒なのか。社会にとってなくてはならないものではないだろうか。「弱さ」の中に、効率至上主義ではない、新しい社会の可能性があるはずだ。そういう視点での研究だ>>

やっかいなものを押しつけられる地方

高橋源一郎さん=東京都千代田区で2014年8月22日、竹内紀臣撮影

 −−3・11と水俣の共通項は、「国や巨大な組織に対してあらがえない、そしてあまり声の届かない地方の人たちが利用されてしまった」システムなのかな、と私は感じるのですが。

 高橋 そういうこともありますよね。これもよく言うんですが、阪神大震災の時は復興も早かったんですが、東日本大震災の場合は東北ということでそうはいかなかった。この国の政策の中で「地方」として利用されてきた場所でした。現在の日本では、地方は最終的に中央から切り捨てられる運命にあるように思えます。原発があるところって、そのほとんどは大きな産業がない場所ですよね。近代日本が発展してきた一つの構図の中で、やっかいなものを押しつけられる場所と言えるでしょう。

 水俣も、近代日本に必要な産業を押しつけられた場所でした。富は中央へ集められ、そのお裾分けが一部、金で戻ってくる。その代わり、廃棄物がまかれる、という構図です。中央のための「迷惑施設」を作るという典型的な場所だった。そういう構造が繰り返し、この国では起きています。

 −−水俣病は2016年で、公式確認から60年となりますが、その悲劇は進行形です。

 高橋 今も日々ですね。やがて、すべての地方が、国によって切り捨てられるだろうとも考えられています。僕は広島県の尾道市の出身です。尾道は原発もないし、のどかなところですが、人口は激減しています。全国をみてもすごい勢いで人口が減少している。僕は「弱い」とされる所や施設を巡る過程で、「地方」にも重なっていることに気づきました。

 都会に青年、労働者を奪われて、地元に1次産業が残って、老人だけが残される。場所が人とともに衰退していく。全ての地方で起こってきたこのことの中に、水俣をはじめいろいろな公害問題があったりしたのです。固有名詞としての悲劇もありますが、すべての地方で「大小さまざまな衰退」がいまも進行中です。山口県には、対岸に(中国電力上関)原発計画があり、高齢化、人口減少、過疎化が全部重なった「祝島」という過疎の島があります。「水俣」「福島」と並び、固有名詞で呼ばれる「切り捨てられた」場所といえますね。

 −−多くの人が住む都会にいると、国の構図に気づきにくいですね。

 高橋 そう、気がつかない。

 −−経験値が低い若い人たちだと、なおさら気づきにくいのでは? そういう人にどんなメッセージを送りますか?

 高橋 ただ、若者たちもここ何年かで気がつき始めているのではないでしょうか。一つには、貧困が激しくなり、都会に住めなくなってきたのを若い人たちが実感しているからです。実質賃金がどんどん下がって、都会に出てきたら暮らせない。非正規労働の若者は、2人じゃないと生きていけない。でも、都会には保育園が少ない。結婚して家庭を持とうと思ったら、地方に戻るしかない、みたいな感じです。「都会に出て仕事を見つけて、お金持ちになって家庭を持つ」という夢が、実際には都会に出ても仕事が見つからないし貧乏になる。「これまで聞いてた話とちょっと違うんですけど」ということがさらに増えると思います。

 それでも都会にしがみつくと、ブラック企業でこき使われたり、結婚しても子供が作れなかったり、その前に結婚できなかったり。そういうふうになった時、みんなが何を選択するのか。地方に戻るのか、この社会おかしいから変えなきゃいけないとなるのか。あきらめるのか。

 −−そこで、「弱さ」を基準とした社会、という発想が出てくる。

 高橋 今のままでは、お金持ちはいいけれど、若くて貧しい人たちは選択の余地が狭まってきているので、生き方そのものを自分で考えないといけない。社会が教えてくれることはどうも怪しい、だまされているのではないか、と。

 今の若い子はお金を使わなくなりました。すごくささいなことですが、ゼミでの飲み会ができなくなりました。僕は10年前から大学で教えているんですが、「今度ゼミで飲みに行こう」と行ったら、「はーい」とすぐに参加希望が集まっていた。でもこの3年間、ほとんどできてません。アルバイトががっちり入っていて、全員のスケジュールが合わないからなんです。他の先生たちも「ゼミ飲みができない」と嘆いています。

 僕はゼミ合宿を修善寺でやってるんですが、僕の前任の加藤典洋さんの時には、毎回約20人が車6〜7台くらいに分乗して来ていた。僕が始めた10年前には、約20人が集まり、車は5台くらい。最近、車なんかだれも持っていない。もしかしたら親も持っていないからかもしれません。劇的に変わりました。貧困化が激しく、「弱く」されちゃったわけです。

共同体は弱い人たちの知恵

東京都千代田区で2014年8月22日、竹内紀臣撮影

 −−今の社会は、「強い」側にいる人たちが「弱さを認めるな」と主張している感じがあるように思います。

 高橋 「強い国」って言い方をしますよね。それが典型で、「弱気になるな」と。グローバリズムというのは、強い人が残るんです。一方で、弱い人間が増え、切り捨てられていく。「切り捨てられたくなかったら、強くなりましょう」という構図なんです。弱い人間があまりいなければ、ことさらに強さを強調しなくてもいい。だれしも落後者が増えると不安でしょ? 不安の解消には「強くなる。自分が弱い方に入らない」か「弱さを受け入れるか」のどちらかしかないんです。

 弱さを受け入れるということは、「一人一人では弱いから共同体で生きる」ということかもしれません。かつて、僕たちは束縛のない都会や個人主義に憧れ、農村という古い共同体を嫌って外に出た。100年近くそうやって暮らしてきた結果、地方には弱い人間だけが残ったんです。束縛がないというのは、逆に言うと守るものもない。

 祝島に行った時、泊まった宿屋のおかみさんが病気で食事を作れなくなったんです。すると近所の人が勝手に宿屋に入ってきて、僕たちの晩ご飯を作り始めたんです。こんな経験もあります。僕の奥さんの友達の旦那さんの実家が福島にあって、うちの子供たちは去年に続いて今年も1週間くらい遊びに行ったんです。そこにいるおじいちゃんを、血がつながっていないのに「じいじ」とか呼んで、膝枕で寝たりするくらいなついちゃって。そして、家主がいないのに、知らない近所の人が勝手に入ってくる。「これ食べて」と枝豆をどっさり置いていく。お茶を出そうとすると、「いいよ、俺分かってるから」と勝手にいれてる。

 そういうズケズケしていて、プライバシーのない世界がイヤで、昔はみんな田舎を出て行った。でも、こういう社会なら孤独死する人なんかいなくなるでしょう。具合が悪くなったら、誰か来てくれるから。これを、都会でやろうとすると、「見守る人」とか言ってお金がかかる。

 共同体は弱い人間たちの知恵です。全員が少しずつ弱ければ、とても弱い人間を、少し強い人間が助けてあげられる。とても合理的なんです。

 −−実をいうと「弱さの研究」と聞いた時、頭の中にクエスチョンマークがたくさん並びました。

 高橋 「弱さ」ってすごいです。「弱さ」を排除し「強さ」を至上原理とする社会は、本質的にもろさを抱えていると思います。

 −−水俣病の公式確認は1956年です。51年生まれの高橋さんは、「自分が水俣で生まれていたら、自分が胎児性・小児性水俣病患者になっていたかもしれない」と考えたことがありますか?

 高橋 自分が(患者になっていたかもしれない)とは思わなかったです。

 −−水俣では今年、胎児性・小児性患者のためのケアホームが完成しました。入居した患者さんは、部屋で自由にお酒を飲んだり好きな音楽を弾いたり、少しの介助を受けながら、人間らしい生活を楽しんでいます。高橋さんの水俣へのシンパシーは、「苦海浄土」に貫かれている「弱さに寄り添う」ところが原点ですか?

 高橋 「苦海浄土」は悲惨なものを書いているのに美しい。ドキュメンタリーだと、「悲惨だね」となってしまうでしょう。そうならないのが文学なんです。文学は肯定的なもので、99%が闇でも、1%の光を求める。つまり「何があっても生きる」とするものなのです。この世界には、弱いけれども確かな声がここかしこにあるはずです。それは、地方の言葉なのかもしれません。あるいは、子供や老人や病者の言葉なのかもしれません。そういった聞き取りにくい言葉を、聞き取る努力、能力こそが、今一番必要とされているかもしれません。

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