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「新芸」とその時代

「新芸術家協会」の歴史を通して、戦後の日本で、どのようにクラシック音楽の演奏会が提供され、また受容されたかを解き明かします。

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(10)哀れ誘った三毛猫~ある演出家の回想(上)……戦後の音楽界Ⅳ

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藤原歌劇団が北海道で公演した1949年の3月に、東京の帝国劇場で行われた藤原歌劇団「椿姫」の様子
藤原歌劇団が北海道で公演した1949年の3月に、東京の帝国劇場で行われた藤原歌劇団「椿姫」の様子

藤原歌劇団の北海道公演

 1949(昭和24)年9月、藤原義江率いる藤原歌劇団一行75人は、北海道でヴェルディのオペラ「椿姫」の公演を行った。中心となって招請したのは新芸術家協会(「新芸」)の創業者、西岡芳和が事務局長として渉外役を務めていた北海道芸術鑑賞協会(「芸協」)だ。「室蘭音楽協会創立50周年記念誌」によると、皮切りの室蘭公演(18日)の主催は、芸協の一員である室蘭音楽協会。後援は室蘭市役所、国鉄室蘭管理部、日鉄輪西文化体育会、日鋼室蘭製作所。その後の札幌、旭川、小樽の公演も室蘭音協の「責任公演」と記されている。砂原美智子、藤原義江、上田仁指揮・東宝交響楽団(東京交響楽団の前身)などが出演。室蘭では初のオペラ公演とあって、10日には商工会議所の講堂で曲目解説のための特別レコードコンサートを開催する力の入れようだった。普段のレコードコンサートの入場者は多くて60人ほどだったが、この回は350人以上が参加。「椅子が不足し、且(か)つ会場の建物が古く、会議所から危険の旨申し渡されたが無事終了した」という。18日の公演は母恋共楽座で昼夜2回開催し計2400人が入場。会場の周囲には約200人が並び、主催者らは整理に追われたという。

 北海道公演は藤原歌劇団にとって戦後はじめての大がかりな地方公演で、9月28日付東京新聞には、藤原義江の「土産話」が掲載されている。「まず室蘭では市警部が廿(にじゅう)万円の補助費を市の音楽文化連盟に出してくれたし日鉄当局は宿舎を提供してくれた。二回の公演は満員だった。札幌では二日間四回公演をした。札幌の松竹座は先ごろ進駐軍が使用していたせいか清浄で整とんされていたのでオペラに好適だった。第二夜は…

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