竹本住太夫さん死去

上方文化再興に尽力 若手指導に情熱

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「文楽の顔」として上方文化発展に尽力した竹本住太夫さん=東大阪市で2015年3月、山田尚弘撮影
「文楽の顔」として上方文化発展に尽力した竹本住太夫さん=東大阪市で2015年3月、山田尚弘撮影

 28日死去した竹本住太夫さんは「文楽の顔」として知名度が高く、気さくな人柄で交友関係も広かった。同じ文化勲章受章者で、落語家の故・桂米朝さんや歌舞伎俳優の坂田藤十郎さんとは若手の頃からの友人。大阪の土地と言葉をこよなく愛し、ともに戦後衰退が著しかった上方文化発展のために力を尽くしてきた。

 都市文化が華開いた「大大阪」の時代に大阪市北区に生まれ、幼少期から文楽の世界に触れた。小学4年生のころ、養父の六代目住太夫に願い出て「壺坂」を習ったのが長い修業人生の始まり。1944年、大阪専門学校(現近畿大)を戦争の影響で繰り上げ卒業して出征。中国で敗戦を迎え、帰国後、46年に二代目…

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