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つながり紡いで

教育、地域、文化など多彩なテーマで「つながり」のあり方を模索します

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都市集中から地方分散へ 温故知新で支える絆=吉田敦彦 /大阪

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筆者が氏子になった祝園神社(京都府精華町)の「いごもり祭」。白装束の若者たちが、力を合わせて大たいまつを担ぎ上げる 拡大
筆者が氏子になった祝園神社(京都府精華町)の「いごもり祭」。白装束の若者たちが、力を合わせて大たいまつを担ぎ上げる

 3年前、京都府南端の郡部にある旧集落に移り住んだ。ご近所さんの多くは田畑を耕し、いわば「半農半X」で暮らしている。昭和の世代だが都会育ちの筆者にとって、新たな発見の連続だった。

 コロナ禍の緊急事態宣言が続くなか、中止にならなかった地区総出の行事があった。田植え前に、田んぼに水を引けるように小川(用水路)の土砂を除く「川さらえ」だ。五月の日曜日の朝、全員に用意されたマスクとゴム手袋をして、グループを小さく分けて川に入り、距離を保って作業した。薫風が気持ちよく、マスクは不要にも思えた。

 3密の都市からは人影が消えた。その一方で、田舎の季節は、のどかな春を迎え、平然と移り変わった。野良での仕事も淡々と続けられていた。今は、田植えを終えた見事な青田が広がっている。我が家の小さな畑の夏野菜も、元気に実った。自然と共にある暮らしに営業自粛はない。このコントラストは、印象的だ。

 退職後は晴耕雨読で暮らせれば、との淡い願いを持っていた。「日本昔ばなしに出てくる家みたい。ここなら盆正月に帰りたくなる」。東京で働く息子の一言が、見つけた空き家を終(つい)のすみかとする決め手になった。独立自尊の気概ある「山城の国一揆」の舞台となった土地柄。今も「垣内(かいと)」と呼ばれる隣組の自治が残る。

 年に3度の「ひまち講」という寄り合いには、世帯1人の出席が必須。議事案件を話し合ったあと、飲食を共にする。昔は各家が持ち回りで定番の「すき焼き」でもてなしたそうだが、今は集会所で仕出し弁当をとる。驚いたことに、「天照皇大神宮」と墨筆された掛け軸をかけ、スズの大どっくりを2本お供えして、二礼二拍手で始まるのだ。そのお神酒を交わし、歓談する(ビールはご法度!)。

 気疲れをしないではないけれど、新参者が知遇を得るありがたい機会となった。こういった伝来のしきたりが、コミュニティーを支えてきたのだろう。他方、先祖代々の田畑を継いでくれる若い世代がいなくて、という嘆きの声は、ここでも聞こえてくる。

 遠目にもそれとわかる鎮守の森は、氏神様の祝園(ほうその)神社。宮司さんが家に来て、伊勢の遷宮由来のヒノキ材で作った神棚を据え、祝詞をあげてくださった。初めて氏子になってみると、初詣やお祭りも、内側から体験できて格別だ。中世からの宮座の古式ゆかしい「いごもり祭」では、選ばれた氏子の若者が、燃え上がる大たいまつを白装束姿で担いで練り歩く。勇壮な若者たちの姿を間近にみて、その気迫に魅せられた。

 節分の頃の「おんごろどん」という行事では、子どもたちが主役だ。日が暮れてから一軒一軒の戸口を訪れ、おはやしを歌いながら玄関の「たたき」をわら縄棒でたたいて悪霊を追い払ってくれる。そのご褒美に、家々から少しずつお菓子をもらう。うれしそうに「ありがとうございます!」と受け取る子ども。後日、地域のなかを走っていた姉弟が、「おじさん、おはようございます!」とあいさつをしてくれた。

 自然と人、人と人のつながり方、コミュニティーのあり方の温故知新。昔は良かった式の懐古でなく、伝承されてきた知恵や様式の、どこにその不易の価値があるのかを見定めて、現代に生かしたい。

 ステイホームの経験やITメディアの進展によって、職住一体や地産地消のライフスタイルが再評価されている。都市集中型から地方分散型へのシフトが、日本社会の持続可能性にとって最も本質的な分岐軸になるとの研究もある。

 「しがらみ」から抜け出した後の「つながり」。個を大切にした自律的で、かつ持続可能な絆のあり方が問われている。それは、適度な距離を保ったつながり方の模索という、ウイズコロナ時代の普遍的なテーマに通じるものだろう。=次回は9月11日掲載予定


 ■人物略歴

吉田敦彦(よしだ・あつひこ)さん

 1960年生まれ。京都大大学院修了。大阪府立大教授、副学長、学生センター長。日本ユネスコ協会連盟理事。専門は人間形成論、教育哲学。近著に「世界が変わる学び ホリスティック/シュタイナー/オルタナティブ」(ミネルヴァ書房)。

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