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友情のメダル伝説、今も 80年後、母校交流で新たな絆
半分は銀、もう半分は銅のメダル--。陸上・棒高跳びで2位と3位を分け合った西田修平と大江季雄のものだ。その「友情のメダル」伝説は今も郷土で語り継がれる。ヒトラーが開会宣言をした1936年ベルリン五輪での快挙だった。
大江の母校は京都府舞鶴市の府立西舞鶴高(旧制舞鶴中)である。グラウンド脇には大江の銅像が立つ。82年に建立され、メダルのレプリカも作られた。内藤行雄同窓会長(71)が言う。「銅像に記された『努力と友情』の精神は同窓生の中で息づいています」。同じレプリカが約200キロ離れた和歌山市の県立桐蔭高(旧制和歌山中)にも飾られている。西田はここで棒高跳びを始めた。
それは長時間にわたる熱戦だった。銀メダルをかけて西田と大江の一騎打ちとなった頃には日が暮れていた。体力の消耗が激しく、2人は棄権を決める。西田2位、大江3位--。発表された順位を西田は不服に思う。そして、西田は大江の背を押し2位の表彰台に上がらせた。帰国後、2人は宝石屋にメダルを持ちこみ、切断してつなぎ合わせた。あのメダルである。
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