あれあれ? どうしたのでしょう。僕の若い友達の「彼」がお母さんにこっぴどく怒られています。
「どうしてこんなつまらないミスばっかりするの? 学校のテストなんて、塾の問題にくらべれば簡単でしょ?」
どうやら学校の試験でいい点が取れなかったみたいです。
彼はまじめでがんばりやさんです。テストの問題だって必死に解いたにちがいありません。実は、お母さんもそのことはわかっているのです。でも、塾に高いお金を払っているお母さんは、ついつい彼への期待が大きくなってしまい、きびしい言葉が口をついてしまうようです。
お母さんは、自分を落ちつかせるように大きく息をついてこう言いました。
「しかたないわね。一緒に本屋さんに行ってあげるから。算数の問題集を買いなさい。今日はゲーム禁止!」
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お母さんに連れられて、彼は本屋さんにやって来ました。2人は参考書コーナーに向かいました。ズラリと並んだテキスト。あまりにもたくさんの本がありすぎて、どれを選べばいいのか彼にはさっぱりわかりません。
でも大丈夫。いろんな本を手に取ったり、戻したりしながら、お母さんが必死になって選んでくれています。まるでお母さんの方が試験を受ける人みたい。ちょっとおかしな光景です。
ところが、なかなか決まりません。だんだんたいくつになってきた彼は、お母さんにこう言いました。
「ねえ、あっちの方で本を見てきていい?」
「すぐに戻ってこないとダメよ」
お母さんは参考書選びに必死。彼をそっちのけで探しています。
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さすがにマンガを見に行くわけにもいきません。彼はしかたなく、入り口の一番目立つコーナーに行ってみました。そこには「いま話題の本」がありました。
「大人はふだん、どんな本を読んでるのかな」
やたらと大きな字、面白そうな絵が描かれた本がたくさん積まれています。
「あれ? でもなんか変。よく見ると、似たような本ばっかりじゃん」
言われてみればそうです。そこには「30分でわかる○○」「あなたにもできる○○のもうけ方」「学校では教えてくれない○○入門」……。同じような本がたくさん置かれています。
彼は不思議に思いました。
「これが本当なら、べつに今、勉強しなくたっていいじゃん。勉強だって、お金もうけだって、この本読めばできちゃうんでしょ? でも、大人たちは子どものときにがんばって勉強したんだよね? なら、なんで大きくなってこんな本を読むわけ? 勉強した意味なくない?」
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彼の疑問はもっともです。大人たちは、みなさんの幸せを願って、勉強するように厳しく言います。どうしてかって? 勉強して、いい学校に行って、いい会社に入らないと、みなさんが安心して生きていけないと心配だからです。決してみなさんに大金持ちになってほしいわけではありません。ただ、「ふつう」に生きていってほしい、そう願っているだけです。
でも、「ふつう」に生きていくとは、どういうことなのでしょうか。
1年間でその国が作りだす「富」をGDP(国内総生産)といい、それを人口で割ったものを「1人あたりのGDP」と言います。僕が大学生のころ、日本の「1人あたりGDP」は先進国のなかで第3位でした。ところが今では、18位にまで下がってしまっています。
大人たちにとっての「ふつう」とは、日本がお金持ちだったころの「ふつうのくらし」でした。でも、すっかり経済が弱くなった日本のなかで、むかしレベルの「ふつうのくらし」を手にできるでしょうか。大人目線の「ふつう」のために、みなさんはとんでもない努力が必要なのかもしれません。
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今から25年くらい前の日本では、がんばっていい会社に入れば、一生安心して生きていけました。年を取って仕事をやめるまで、会社がみなさんの面倒を見てくれたからです。
でも、今の日本では、いい会社に入っても途中で仕事をやめさせられることがあります。また、十分なお金をもらえる仕事につくことも難しくなっています。
大人たちは、そんな不安におびえながら毎日がんばっているのです。テストの点にイライラし、参考書を必死に選ぶお母さんの気持ち、知識の身につけかた、成功のひけつを知ろうとする大人の気持ち、僕にもわかる気がします。そして、そんな大人たちの「ふつう」への期待が重荷でたまらない君たちのしんどさも。
財政学者の井手英策さんが、社会の仕組みを問う物語をつづります。
文・井手英策さん
1972年生まれ。慶応大学経済学部教授。子ども3人のお父さん。
絵・川辺洋平さん
1983年生まれ。NPO法人こども哲学おとな哲学アーダコーダ代表理事