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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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「あの日見た光景の証しを」 事実求め訴え続ける被爆者救護の87歳女性

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行政不服審査会に向け、支援者の男性に当時の状況を説明する泉吏子さん=広島市安佐北区で2020年7月20日午前10時43分、木原真希撮影
行政不服審査会に向け、支援者の男性に当時の状況を説明する泉吏子さん=広島市安佐北区で2020年7月20日午前10時43分、木原真希撮影

 1945年の8月、広島市安佐北区の泉吏子(さとこ)さん(87)は原爆の爆心地から約60キロ離れた広島県十日市町(現三次市)で、列車で運ばれてきた負傷者たちを手当てした。被爆者を救護した人は被爆者健康手帳の交付を受けられる。しかし、交付に必要な証人を見つけることができず、申請は3回とも退けられた。「恐怖に震えながら必死に救護した。その事実を認めてほしい」。訴え始めて24年。広島は6日、75回目の原爆の日を迎える。

 地元の女学校に通う12歳だった。登校日だった45年8月6日朝、グラウンドで草取りをしていると突然、南西の空が「ピカッ」と光った。午後の下校途中、何が起きたのかを知る。最寄りの備後十日市駅(現三次駅)に着いた列車から次々と降りてきたのは、全身に巻いた包帯から血がにじみ、皮膚がだらりと垂れ下がった人たちだった。

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