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「今夜はサボテン料理にする?」
市民の間でそんな会話が交わされる日を夢見ているのが、愛知県北西部にある春日井市だ。二酸化炭素(CO2)を吸収するなど環境に優しく栄養豊富な食用サボテンには、SDGs(持続可能な開発目標)の観点から国連機関も熱い視線を注ぐ。15年以上サボテンで地域おこしを続けてきた同市の担当者は「やっと時代が追いついてきた」と胸を張る。
サボテンは野菜?
国内で普通にサボテンが食べられるのは、メキシコ料理店ぐらいだろう。
しかし、春日井市に来ると驚く。サボテンラーメン、豚バラ肉と一緒に串刺しした「サボマ」、そのまま豪快に揚げた天丼、カレーと食べる「ナン」もある。和洋中エスニックとジャンルは広い。
春日井ならではなのは、何と言っても給食だ。
2007年以降、サボテンが「旬」の夏場は、千切りにしたツナサラダ、コロッケなどさまざまなメニューで登場する。「うちの娘もそうですが、20代以下の若者はサボテンを食べるのが普通だと思って育っています」(同市経済振興課の鈴木公博課長補佐)
試しに中華料理店「四川」でサボテンラーメンを食べてみた。麺はひすい麺のような緑色。すりおろしたサボテンは粘りがあり、スープに溶けて麺とからむ。ネギやチャーシューと並んだサボテンの薄切りは、軽い歯ごたえと爽やかな酸味が口に残った。味にくせはなくユニークな食感。紛れもなく「野菜」だ。
「サボテンブーム」が到来
春日井市とサボテンの歴史は古い。
1953年ごろ、ある果樹農家が副業として栽培を始め、周辺農家にも広がった。転機は、東海地方に襲来した伊勢湾台風(59年)だった。桃の木などはなぎ倒されて壊滅的な被害を受けたが、サボテンは種から数センチに育てて出荷する「実生栽培」だったため難を逃れた。果樹農園の再建にはそれなりの年月がかかる。多くの農家がサボテン栽培に切り替え、苦境を乗り切ったという。
その後は観賞用のサボテンブームが到来。栽培農家は一時、兼業を含め約100軒に上り、全国一の生産地となった。
しかし、供給過多やブームの後退に加え、安価な外国産の台頭による輸出量の減少などが追い打ちをかけた。80年代後半には出荷量がピーク時の半分に低迷。さらに名古屋のベッドタウンとして宅地開発が進み、農地は縮小していった。
やっぱりサボテン
そんなサボテンに再び光を当てたのは、地元商工会議所だった。06年、地域ブランドに育てようと「サボテンプロジェクト」を始動。「サボテン給食」をはじめ土産物や関連グッズを開発、キャラクターの着ぐるみも作った。
だがプロジェクトは19年に休止。市民に浸透しきれず、次第に下火になったためだ。そこで今度は行政がバトンを受け取った。21年度からサボテン振興事業を予算化し、翌年度には経済振興課に「観光・サボテン担当」を新設した。
鈴木課長補佐は「過去の取り組みは個々の事業者に負うところが多かった。行政なら発信力がある。加えて食用サボテンがSDGsの観点から注目を集めるなど、時流に乗るチャンスがやってきたんです」と狙いを説明する。
「名古屋の方から」
春日井市は人口約31万人の中堅都市。JR中央線や主要高速道路が交差する同市は名古屋へのアクセスに恵まれ、ベッドタウンとして発展した。…
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