連載

14色のペン

国内外の異なる部署で取材する14人の中堅記者が交代で手がけるコラム。原則、毎日1本お届けします。

連載一覧

14色のペン

村上正邦さんと「生長の家」

生前の村上正邦さん。2020年9月に88歳で亡くなった=東京都千代田区で2015年2月10日、中村琢磨撮影
生前の村上正邦さん。2020年9月に88歳で亡くなった=東京都千代田区で2015年2月10日、中村琢磨撮影

 2022年はあとわずかですが、「政治と宗教」にまつわる話は終わりが見えず、ワイドショーでも扱われない日はないくらいです。「政治家と宗教」に関心を寄せてきた僕は、前回のコラムで安倍晋三元首相の宗教遍歴を紹介しましたが、今回はその対極に位置づけられそうな政治家の話です。【東京学芸部・吉井理記】

 「天皇国日本」

 その部屋を訪れるたび、いつも真っ先に目が行ったのは、壁際に黒々とかかげられた墨書の額だった。

 自民党の「参院のドン」こと村上正邦元労相が生前、東京・永田町のマンションに構えていた事務所である。村上氏はKSD事件(2000年)で議員辞職に追い込まれた。有罪判決を受けた後の09年から、この事務所を拠点に、事件での無罪を訴えつつ、「日本の司法を正す会」という名の団体をつくって政治活動を再開していた。

 村上さんが帰依したのが新興宗教「生長の家」である。教祖は谷口雅春氏(1893~1985年)。前出の「天皇国日本」は、その谷口氏の直筆だという。

 生長の家は谷口氏が戦前に起こし、戦前・戦時中は超国家主義的な色彩を強め、大日本帝国の戦争に積極的に協力した。戦後も「天皇国日本」をうたい、日本国憲法を否定して「明治憲法復元」「紀元節復活」などを唱えた。

 村上さんは1962年に入信する。政界入りする前に著した「政治にスジを通す」(73年)によると、もともと村上さんは無神論者だったが、秘書として仕えていた故玉置和郎元総務庁長官の勧めがきっかけとなり、谷口氏の教えに心酔したのだ、という。

 記者が村上さんの元に通うようになったのは安倍晋三元首相の再登板後の2016~18年のことである。50年以上を経ても、谷口氏への帰依は変わっていないことを事務所の額が示していた。

 ならば、村上さんの政治行動に、宗教はどう影響したのだろうか。

 記者が最後に村上さんに会ったのは18年5月。この時、村上さんは記者の取材の約束を失念するなど、記憶も体力もかなり衰えているようにうかがえた。その村上さんに「政治家としてやり残したことは何か」と聞いてみた。

 村上さんは何と答えたか? 「司法制度改革」?、「明治憲法復元」?

 答えを明かす前に、クリスチャンでもある自民党の石破茂元幹事長にキリスト教の教えと政治との関わりを尋ねたエピソードに触れたい。石破さんは「…

この記事は有料記事です。

残り894文字(全文1863文字)

あわせて読みたい

この記事の特集・連載

この記事の筆者

アクセスランキング

現在
昨日
SNS

スポニチのアクセスランキング

現在
昨日
1カ月