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常夏通信

その103 戦没者遺骨の戦後史(49)遺骨混じりの土砂を埋め立てに?

辺野古埋め立てへの沖縄本島南部の土砂使用に抗議する具志堅隆松さん(左から2人目)=那覇市の沖縄県庁前で2021年3月1日午前8時56分、遠藤孝康撮影
辺野古埋め立てへの沖縄本島南部の土砂使用に抗議する具志堅隆松さん(左から2人目)=那覇市の沖縄県庁前で2021年3月1日午前8時56分、遠藤孝康撮影

 今年6月3日、参議院外交防衛委員会。私はこの委員会での論戦を見た後、具志堅隆松さん(67)に電話でその内容を伝えた。

 「具志堅さん、政府が、南部に米兵の遺骨が埋まっている可能性を認めましたよ」

 「え!」。具志堅さんは電話の向こうでそう声を上げて、絶句した。

 「このままだと南部の土砂は使えませんね」。私がそう言うと、具志堅さんは数秒沈黙して言った。「これは……ターニングポイントになりますね」

 我らが日本政府は、沖縄県名護市辺野古の海を埋め立てて米軍基地の建設を進めている。そして埋め立て用土砂の採掘地として、沖縄本島南部を候補にしている。第二次世界大戦末期、日米両軍による沖縄戦で南部は激戦地となった。今も被害者の遺骨や遺体が眠っている可能性が高い。「人道に反する」「戦没者を2度殺すことになる」といった、反対の声が高まるのは当然だ。

辺野古に南部の土砂を?

 抗議の声を受けて、国会でもたびたびこの問題は取り上げられた。その一つが上記の委員会だ。

 第二次世界大戦末期の沖縄戦では日本人だけで19万人近くが命を落とした(日本軍兵士9万4136人、住民およそ9万4000人)。住民と沖縄出身の兵士を合わせると、死者は県民の4人に1人に及ぶ。米軍の占領下、地元住民らが遺体や遺骨の収容を進めた。日本復帰後は国の事業として収容が行われている。厚生労働省によれば、これまで約18万8000体を収容しており、残るのは約1000体である(2020年度末現在)。

 一年中「8月ジャーナリズム」=戦争報道をしている「常夏記者」こと私は、厚労省が示すこの数値に疑問を持っている。有り体に言えば「集めたのは、もっと少ないんじゃないの? それに、みんな日本人の遺骨なの?」ということだ。1体の遺骨を2~3体と数えてしまう可能性があることと、「日本人」として厚労省がロシア・シベリアで収容し日本に移送した多数の遺骨が、実は外国人であったことが科学的に証明されたことは、本連載ですでに見てきた通りである。

南部では今も遺骨が

 仮に「残りは約1000体」としても、南部にはそのうちの多数が含まれている可能性が高い。実際、南部では今も遺骨が見つかっている。たとえば沖縄戦の遺骨収容を行うボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅さんが昨年秋、糸満市米須にある魂魄の塔(敗戦後、住民が道路や畑などに散乱していた遺骨およそ「3万5000柱」を納めた慰霊塔。1979年に糸満市に国立沖縄戦没者墓苑が完成し、大部分の遺骨が移された)の近くの斜面で、沖縄戦当時のものとみられるあごの骨や、他の人のものとみられる手の骨や歯を見つけた。爆弾の破片もあった。

 具志堅さんは地元・沖縄で40年近く遺骨を調査、収容している。門外漢がみたら土や砂のように見える小さなものでも、それが骨と分かる。

 魂魄の塔の近くには「シーガーアブ」と呼ばれる巨大な自然壕(ごう)がある。有川主一陸軍少将(戦死後中将)が自決した地として知られる。壕の構造は未解明とされる。具志堅さんが遺骨を見つけた斜面ともども、残る遺骨を収容するために本格的な調査が必要だ。埋め立てに使うなど論外だ。

 沖縄戦では米軍も甚大な被害を受けた。米陸軍戦史センターによれば、死者は1万2520人。アメリカには戦没者遺骨を収容する専門機関がある。米国防総省の「捕虜・行方不明者調査局(DPAA)」だ。戦没者の遺体、遺骨収容はアメリカにとって兵士や遺族との約束事だ。国の義務として収容しているが、それでも沖縄戦では200人以上の遺骨が未収容だという。

米兵の遺骨も埋まっている?

 じゃあ、南部にも…

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